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【まずはこれを読んで!】幼少期から現在までを壮大に振り返る國井のプロフィール

time 2018/09/16

【まずはこれを読んで!】幼少期から現在までを壮大に振り返る國井のプロフィール

 

 

 

大学3年生、名前はまだない。

 

 

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1.簡単な自己紹介

  • 全部読んでられないよって方のために要約Ver.をお届けします。

ブログ運営: クニイヒトシ
96年生まれの22歳。現在は大学3年生。

2018/9「死ぬまでノビシロ伸ばそう」のノビシロ.COMを運営開始。
ヒッチハイクで旅したり東京ー京都を徒歩で旅したり
大学休学してアフリカに行っちゃったり。
直近は2019年4月オープンを目標にカフェ開業に向けて動いています。

こちらの記事を読んでみてね

【現代の参勤交代!?】東京から京都まで歩いて旅をした話①

【現代の参勤交代!?】東京から京都まで歩いて旅をした話②

【大学卒業までに全員ヒッチハイクはやっておけ】僕がヒッチハイクをススメる理由

このブログについて

当ブログ最大のテーマはご存じの通り「伸びしろ」ですが、

人は何も出来ない赤ちゃんで生まれ

ハイハイを覚え

歩くことを覚え

自転車に乗り

やがて車を運転する

泣くことしか出来なかったのに

やがて会話できるようになる

英語やその他外国語を習得し世界の人とコミュニケーションを取る

【あの時は出来なかったのに気が付くと出来るようになってた】

これほどワンダフルなことはない
死ぬまでこの感動をし続けていたいという著者の思いから
ブログタイトルを「ノビシロ.COM」にしました(笑)

「人生はノビシロを伸ばしていくゲーム」という基本理念の元、
単身アフリカ渡航したときのこと

カフェ起ち上げのこと

ブロックチェーンや暗号通貨のこと

読書のこと

旅のことなど、様々な記事をupしていきます。

一言で言うと、
「色んなこと経験してたら壁に当たりまくって悩んだりしたけどその結果あの時のおかげで今がある現象」をノビシロと置き換えそれをテーマに記事を書いていくと言うことです!(一言とは?)

 

2.誕生から各時代まとめ

96年の夏に、三人兄弟の末っ子として埼玉で生まれました。

出生時の体重と身長はなんと4008gの56cm。

厚労省によると、

男児は出生時の平均体重と平均身長は3,076g、49.2cmとなっており、1歳6か月(第2回調査)では身長が出生時から約32cm伸びて81.1cmとなり、体重も約7.8kg増え10.9kgとなっている。5歳6か月においては、平均体重が18.9kg、平均身長が110.5cmとなっている。また女児は男児との差はあるものの、同様の傾向で成長している

そうなので、かなり巨大な赤ん坊だったわけですが、それだけではありません。

なんとへその緒が首に巻き付き、
出てきてからも泣かなかったため青ちゃんだったそうです。(泣くことで酸素が回り赤くなるから赤ちゃんと言うんだとか)

その後保育器に入れられ余談を許さない状況に置かれたヒトシ少年を更なる苦悩がおそった。

そう、保育器が小さすぎた!

しかしその後は何事もなく無事に退院し、晴れて赤ん坊ライフに突入して行きました。

 

  • 雪ん子の名を与えられおしりを焼きまくった幼少時代

    (幼稚園時代)

三人子供がいるにも関わらず、両親は比較的色んな場所に連れて行ってくれました。

そしてある年の冬、家族で群馬の温泉に遊びに行ったとき、
降り積もる雪の中を真っ裸で地面に座ってひたすら雪を丸めては川に投げ入れる童子がいるとの噂が…

そう、その正体は紛れもない僕です。

当時まだ小さかったヒトシ少年は、母と姉に連れられ女子露天風呂に入ってました。
そして父と兄に声を掛けに男性風呂へ行ったのですが、(宿から少し離れて完全に外に作られた場所だったと記憶してます。)

そのまま道に迷いそのような行為に及んだと考えられています。

引き返して女子風呂に戻るならともかく、
その場に座り込んで裸のまま雪を投げることを選んだヒトシ少年には脱帽です。

以来つけられたあだ名は【Yukinko】

その後も災難がヒトシ少年を襲います。

違う年の冬、家にはストーブが出ていました。

そのすぐ脇でヒトシ少年は兄と鼻くそをつけあうという大人には思いつきようのない斬新な遊びをしていました。
攻められたヒトシ少年は後ずさりそのまま「ジュッ」…

ストーブの上に座ったのです。まだ幼いぷりぷりの桃が焼けました。

電話をしながらその光景を見ていた母が悲鳴を上げたところまで記憶はありますが、
その後のことは覚えていません。

 

  • 同級生を兄との喧嘩の練習台に使った小学時代

小学校に入学。

(この写真は小学校卒業前)

入学式で唯一覚えているのは、「同級生にパーマン二号に似た奴がいる」ということだけ。

でも不思議といますよね、クラスに一人めちゃめちゃ運動神経がいい猿系統の顔の奴(笑)
なんだかんだ彼とはしばらく仲良くしていたような気がします。

当時、姉兄の二人は部活動でバスケット部に入ってました。
ちょくちょく練習に顔を出してたこともあり、「人数が足りないから大会に出てくれ」との依頼がヒトシ少年に舞い込みました。

小さな大会だったので出ることになったのですがひたすらコートを行ったり来たりしたことを覚えています。
そんなこともあり2年生にあがるとバスケ部に入部。

年中さんから始めたスイミングにも通っていたので、忙しいスクールライフが始まったのです。

しかし4つと5つ離れた兄弟を持つヒトシ少年にとって、同学年の子となかなかあわない。
家に帰れば兄との喧嘩ごっこからのマジ喧嘩。トレーニングをせねば!ということで、

「ここ絞めると苦しいよ」とか言って同級生の子の首を絞めたり蹴ったりと練習台に使ってました(笑)
もう完全にサイコパス(笑)あの時の友達ホントにごめんなさい。

ヒトシ少年が高学年になる頃、姉・兄は反抗期を迎えてました。
それを見た少年は「おぉ、大人に歯向かってる!カッコいい!」と思わないはずありません。

小学5年生にして反抗期に突入(女子か!)。先生に口答えし、
マラソン大会で応援してくれる同じバスケ部員の親に「うるせえばばあ!」と叫び、
6年生になる少し前に「次のバスケ部のキャプテンをやってくれ」と顧問に言われれば嫌だと断りひたすら反抗。

しかし6年生に上がる頃にはそれも落ち着き、いい子に戻っていたような気がします。
そんな早すぎる反抗期を経て中学校へと駒を進めたヒトシ少年。

 

  • 部活の顧問を鬱に追いやった中学時代

なかなか香ばしい小学時代を過ごしましたが、中学時代には更に激しさを増しました。
「部活の顧問と折りがあわない」そう嘆く生徒はたくさんいるけど、鬱になるまで追い込む子はそういないでしょう(笑)

でもただの反抗期ではなく自分の考えを持って真っ向から顧問と衝突しました。
おかしいものはおかしい。謎の正義感が当時の少年を動かしていた訳です(笑)

でも当然悩みます。「どうすればいいんだおれは!」
そして2年生の合唱祭である出来事が。

僕が出た中学校は色んなハンディキャップを持った生徒も受け入れてたのですが、
彼らがステージで必死に、でも楽しそうに歌う姿を見て自己矮小化を覚えたヒトシ少年。

「あれ、おれの悩みスーパーちっぽけじゃね?嘆くだけじゃなくてやれることやろう!」と、
変えられないものをひたすら嘆く子供からポジティブな青年に進化しました。

以来顧問との対立はせず女子部の顧問に練習を見てもらったり自分で考えたりと、
ヒトシ少年はちょっとずつ大人になっていきました(笑)

 

  • 挫折を経験して自分の人生と初めてまともに向き合った高校時代

(ひたすら砂浜を走るクレイジーな合宿)

小学校6年生の頃から入りたい高校が二つありました。

一つは偏差値60ちょっとで自称進学校の幕張総合高校で、もう一つはスポーツで有名な市立船橋。

高校では本気で勝つバスケをしてみたいと思ってたので、
当時千葉県で2トップだった二つに絞られたのは当然と言えば当然の選択肢ですが、

二校の間で偏差値の開きがあるため悩みに悩み、出願の1週間前まで必要書類を2校分作ってました(笑)
そして市船に行くと決めたまさにそのタイミングでV模擬の結果が返され、

幕張の方はまさかのD判定。それを見た両親が一言ずつ、
「これじゃどこにも受からないな」
「あんた偏差値低い方に逃げるのね」

きっと卒業後のことを考えて
やっぱり偏差値の高い方に行って欲しかったんだろうと思いますが、
当時の僕は「うるせぇこの野郎!絶対受かってやるからな!」(心の声)

ってな感じで上手いこと乗せられ猛勉強。

結果幕張総合に合格したわけですが、今ではそっちを選んでよかったと思っています(偏差値云々ではなく)。
詳細を書くと長くなるのでまた別の記事で書きますが、
そこで出会った仲間や監督の存在、自身が得た経験が今の僕に大きな影響を残しているからです。

でも毎日の練習はホントに辛かった(笑)
体罰も途中まであって、お腹蹴られたときに「プスゥー」とすかしっ屁が出たこともありました(笑)
それに最後の大会まで1ヶ月切る頃には膝の靱帯断裂という大けがに見舞われ、
人生で最大の挫折を味わいました。

でもなんとか誤魔化しながらリハビリをしてプレーを続け、
最後の大会でも3分ほどプレータイムをもらい、チームもインターハイに出れました。
僕もインターハイのコートに立たせてもらえて本当にいい時間を過ごしたなと思います。

  • やりたいことをやりまくると決めた大学生活

高校時代に怪我をした時に初めて、
「自分は今まで何のために生きてきてバスケをやってきたのか、何のためにこれから生きていくのか」

そんなことを考えました。手術して体が思うように動かなくて死にたいなぁと思うほど辛い時期もあったけど、
あの経験があったから今の僕があると断言できます。

「何のために生きるのか」

それを考えたときに出した答えは、「よく死ぬために生きる」ということ。

これはまた別途記事に書いているのでそちらを読んでほしいのですが、
そのために出来るのはやりたいことをやって死ぬときに笑って逝くことだと行き着きました。

だから【いま】やりたいことをやろうと思い、
大学2年生から一人暮らしをすると決めて、一年生の時に部活をやりながら居酒屋バイトで80万を貯めたものの、

「このお金が何もせず家賃で消えていくのはもったいない」と感じ、
オーストラリア一人旅を皮切りに、色んなところに行き
大学には半分バスケの推薦で入ったのにそのバスケを辞めて休学してアフリカへ行ったりと、
やりたいことをやりまくってます(笑)

 

3.読者へのメッセージ

どうやってこの記事にたどり着いたかはそれぞれだと思いますが、
長々と読んでくれてありがとう!

ターゲットは同世代もしくは下の世代で考えてます。

もちろんブロックチェーンや暗号通貨、お酒・コーヒーのこと、
本のことなどは色んな世代の方にも読んでもらえるよう工夫していきます。

この記事の冒頭にも書いたけど、
【いま】出来ないことは伸びしろだと思います。出来るように工夫すればいいんです。

そんな訳で当ブログをよろしくお願いしまーす!!!
Twitter・Facebookもやってるからよろしく!!

Have A Nice Day!!!

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 ノビシロ.COMについて

大学3年生。 旅・読書・お酒・コーヒー・暗号通貨・ブロックチェーン・これから立ち上げるカフェのことなど、 広めのテーマで記事を書いていきます。 [詳細]

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