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現代の日本人は居場所が足りないーカフェをやりたい理由ー

time 2018/11/25

現代の日本人は居場所が足りないーカフェをやりたい理由ー

現在カフェのようなものを媒介にした場所づくりをしようとしています。

「のようなもの」と表現したのには理由があって、
まだどうなるか未定なので伏せます笑

たぶん年内か、遅くても年明けにはアナウンス出来るかと思います。

今回は、なぜそんな「カフェのようなもの」をやりたいのか、
自分のリフレクションのためにもまとめます。

読むのにかかる時間:約7分(ちょっと長いです)

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アフリカで感じたこと

きっかけはアフリカにいた頃に遡ります。

日本とアフリカを繋げる、
カタリスト的な文脈でカフェをやりたいと考えていましたが、
徐々に考えが変わってきています。

しかし根底にはアフリカでの経験があるので、
そこからお話ししていきます。

居心地がいい

(中央で肩車しているのが僕)

何より居心地がよかった。

通りを歩いていて10人とすれ違ったら
8人は挨拶を交わしてくれます。

時には「Hey my friend!」「Hello my bro!」
なんてことも言われます(㊟初対面です)。

当然最初は、「うーん、友達/兄弟とは?」みたいな
哲学的な問いに勝手にぶつかりましたが(笑)

でも受け入れられている感が、
居心地がよかったと感じた大きな理由だと思います。

日本だといまだに外国から来た人に対する差別とか偏見がありますが、
その辺に関する個人的な意見は別途記事にしたので、
是非寄り道してみてください。

【無知が差別や偏見を生む】アフリカで感じたこと

プライバシーがない

翻って、人との距離感が近すぎて
プライバシーの概念が気迫だなと感じることも。笑

一人になりたいときでもなんかくっついてたりするし、
バスでもめちゃめちゃスマホ画面覗いてくるし、

とにかく距離が近い。
もしかしたらこれがあわない人は辛いかも知れませんが、
それでも目が合えばニコってして、声を掛け合えるのは素敵だなと思います。
(きっと昔の日本もそうだったんだろうなと思うと残念。スマホばっか見てないで前見よう)

でも距離が近いからこそ
困ったときはお互い助け合えるし、
一方的な依存ではなく、相補完的な関係が築かれていて、
こんな風に日本もなればいいなぁとつくづく感じました。

家庭や学校で教えられるのは、
「迷惑をかけちゃいけません」。

生きるって行為それ自体が迷惑をかけることなのに、
なぜかそれを忌避する。

もちろん倫理的にダメなことはダメだけれど、
「もっと迷惑かけよう」っている新しいムーブメントをこのプロジェクトで起こしたいな。

楽しむことを最も大切にしている

僕が出会ったアフリカの人々の多くは、
[unhappy]な状態をとにかく嫌いました。

ホテルなどステイ先でも、
「困ったことがあれば何でも言ってくれ!君のハッピーがおれのハッピーなんだから。
もし君がunhappyならおれもそうだ。」
こんなことを言ってくれたオーナーが。

マニュアルじゃなくて【本当の心遣い】ってこれだって思った。

客とスタッフだけど一緒の時間を過ごすんだから一緒に楽しむ。
一時的な関係性だけど、その時間をめいっぱい楽しむ

日本人からすれば時間の感覚はルーズだし、
時々困ることもあるけど、大切なことを教えられた。

帰国して感じた違和感

当然そういう世界から帰ってくると、
逆カルチャーショックがあるわけで。笑

街歩いてもみんな姿勢悪いしうつむいてるし、
電車なんて地獄のよう。

そんな僕が感じた違和感を言語化してみました。

プライバシーだけが重視されている孤独感


(多くの人が孤独)

これはそのままの意味。

自分の時間、自分の場所ばかり気にして、
もはや自分から独りになってるなって感じました。

電車乗っても遅延すれば怒るし、
肩が触れようものならすぐ口論に。

でもきっとみんな心の底では分かってるはずで。
怒りたくて怒る人なんていなくて。

でも気付けばどこにいてもストレスフル
あれ、何の為に働くの

気付いたらひとりぼっち

生きがいって何だっけ

通勤電車での怒り

通勤電車での怒りを僕なりにもう少し深く考察します。

結論から言うと僕が思うのは、
「あれ、居場所が欲しいんじゃね?」です。

朝の電車に乗って向かう先は8割方職場。
待ち受けているのはやりたくない仕事・説教してくる上司

前日の夜は愚痴が盛り上がり飲み過ぎて気分が悪い。

だからぶつかってくる人がいればキレる。
そうやって自分の存在を示す。
あるいはストレスを発散する。

自分の存在が認められて、多幸感を得られる場所が周りにないんじゃね?
初対面でもお互い普通にコミュニケーションが取れる場所ないんじゃね?

いや、みんな分かってるはず。
いつでも怒ってるわけじゃなくて、
必ずその人にはその人のいいところがあって、
優しさがあって悩みがあるってこと。

もっと違う出会い方をすればいい関係を築けたかも知れない。
だけど日本で知らない人に声をかけたらただの不審者。

知らない人とも話せるのは「仕事関係」とか「誰かの友達」とか、
お互いにそういう【話してもいい】っていうコンセンサスが取れてるときだけ。

そうだ、そういう場所をつくろう

そんなわけで、知らない人とでも話すことが当たり前な場所をつくればいい。

今はその考えが強いです。

社会と繋がっている安心感

マズローの五大欲求のちょうど真ん中に来る社会的欲求。

社会に所属していたい仲間が欲しい
人間が持つ自然な欲求。

なんとなくそれにフタをしてしまいがちなのが日本人なのかな
もっと人を頼ればいいし頼り頼られる世界がいいから

そんな考えが今のプロジェクトをやっている理由です(詳細は必ず記事にします。)

日本人に根付くムラ意識

僕は日本人のムラ意識は変わらないと思います。

歴史的に見て村社会の存在は長いし、
アニミズム的背景から、
今あるものをそのまま受け入れる傾向にあるという話も聞きました。
それを無理に変える必要はないなと。

今はモビリティ(移動手段)が発達しているから、
自分が今いる場所の居心地が悪ければ国内のどこかでも
世界でも行ってしまえばいいと思う。

ただ僕がつくりたい共同体は、
あくまで風通しのいいもの。

誰かが来て去って。他の誰かが来てまた出会う。

虫たちが花粉を運んで植物が繁栄するように、
流動性をたもつことで新しい芽がそだつような場所。

つくりたいのはそんなコミュニティ

いつでも駆け込める場所に

これは社会的に厳しい状況にある人のためにもしたいと思う。

困っている人がいればいつでも逃げ込めるような、
駆け込み寺的なキャラクターを持たせたい。

アフリカにいた頃、困っていればたすけるのが当たり前だった。
そこに利害はなかった。

電車で年配の方に席を譲るのが恥ずかしい。
それに象徴されるように、いいことをするのが何か恥ずかしいみたいな風潮。

それをファッションにしたい。オシャレにしたい。クールにしたい。
SDGsとか言おうものなら「意識高い人」に分類されてしまう。

100年後も変わらず暮らしていけるような世界にしたい。

でも最近は世界中で異常気象がなんどもニュースになる。
もしかしたら100年どころか30年以内に今の生活が出来ない可能性もある。

だけど1990年前後に生まれた世代は100歳まで生きる。
ほぼ確実に。

それくらい持続性のない生活をしている。
それでいいはずがない。

だからそんな、新しい価値観を受け入れ合える場所をつくりたい。

新しい文化の発信

いまの僕たちを取り巻く環境は激変している

一つ一つの要素は見えない部分で繋がっていて
複雑に絡み合っている。

貧困・環境・資源・エネルギー、そして何よりも僕らのライフスタイル。

ある素材が入った商品を使うと環境が汚れる
動物たちの住処がなくなり追いやられる。

でも元を辿ると、その素材を売ることで生計を立てている人がいる。
そしてその多くは新興国の所得が低い人たち。

環境に悪いからと言ってすぐに止めることなんて出来ない。
既存の仕組みを変えることなんて出来ない。

じゃあどうするか。新しい仕組みをつくる。
大量消費社会から脱する必要がある。

じゃあどうするか。
100年先を描いて、それをどうすれば実現できるかを、
一人でも多くの人が本気で考えることだと思う。

詳しくは別途記事にするけど、
これからの世界を創るのに求められるのは、
専門性より横断的な知識だと思っている。

そしてそのためには膝を突き合わせて
異なるバックグラウンドの人たちと議論すること。
知識の総合格闘技。

そんなことが出来る場所を創りたい。

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 ノビシロ.COMについて

大学3年生。 旅・読書・お酒・コーヒー・暗号通貨・ブロックチェーン・これから立ち上げるカフェのことなど、 広めのテーマで記事を書いていきます。 [詳細]

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