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なんで勉強するの?大学4年になって思う勉強する理由

time 2019/02/04

なんで勉強するの?大学4年になって思う勉強する理由

小学生の頃から抱いてきた、そして大多数の人が抱くであろう疑問。
「なんで勉強するの?ほとんどが社会に出ても役に立たないし、最低限数を数えられればいいし、日本人なのになんで日本語勉強すんの?」

ほんと疑問ですよね。でも最近学ぶことのおもしろさが言語化され始めたので、今回はぼくが思う勉強する理由をシェアしていきます。

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まずは知って欲しい世界の基本的な能力に関する実態

この記事を読んでくれているあなたはきっと、
「そうか、勉強する理由をこれからこいつは語るのか」と思っているはずです。
まさか、「いかに勉強がつまらないかをこいつが語ろうとしている」とは思いませんよね。

だけどTwitterなど個人のメディアが普通になっている最近では、文脈をぶった切っていちゃもんを付ける人たちで毎日賑わっていて、冷静に読んでみると訳の分からない文句で溢れていたりするわけです。

決して日本語話者ではない人が批判している訳ではないのに、なぜか会話がかみ合わない。 なんでそう受け取った?って思うことありますよね。

そこで、少し前の記事ですが衝撃的なことが書かれているものを見つけたので、まずはそれをご紹介します。

「世の中は「簡単なこと」ができない人たちで溢れている」
https://www.news-postseven.com/archives/20181113_796759.html?PAGE=1#container

SNSで炎上が起きる理由

参照記事に目を通していただくと分かるように、 「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力」 に基づいた、成人力調査の結果に関する記事を紹介しました。本当に目から鱗なので、ぼくの記事は読まずに、そっちだけ読んでいただいてもいいくらいです(お時間があるときにぼくのも読んでもらえるとうれしいです涙)

その結果を見ると、世界的に、基本的リテラシーを持たない人が圧倒的に大多数であり、世界と比べると日本は非常に優秀な方だとすら書かれています。

この統計結果が、調査目的である“成人力”の全てを表しているとは考えにくいので、真に受けることなく参考程度に留めていただきたいのですが、実際問題として、話がかみ合わない人はいます。

 調査項目に、簡単なグラフを読み取る力が問われる問題もありますが、計算する必要のないにもかかわらず答えられない人がいる。これだとネット上に書かれたことを見て、その真意を理解することが難儀なのも分かる気がします。

もちろん、発信者の伝えようとしたことを、毎回、直接の会話を通さずに100%理解することはぼくも出来ません。しかし「どんな思考回路を持ってすればそんな受け取り方するの!?」と思ってしまうやりとりが、炎上した投稿のコメント欄で散見されますよね。

個人が発信出来て、大量の情報にアクセスできるようになった今の時代、きちんとした会話をするためにも、基本的な思考力を身に付けることは大変重要なことだと言えます。

国語が出来ないとこんなに大変!

 記事でも言われている「知識社会化するこれからの時代」を考えると、書かれていること、相手の伝えようとしていることを理解する為の、最低限の力を持たなければ非常に不自由になりそうです。そうならないためにも、国語を学ぶ意義はあると思います。(今の学校教育のシステムには基本的に反対の立場を取っているので、”どこで学ぶか”はこの際おいときます。)

「日常生活で困らないから国語なんてやらなくていいでしょ。」言いたいことは確かに分かります。でもちょっと専門的な話や、相手の感情を理解しようと思ったとき、本当に日常会話以上の国語力は要らないと思いますか?

何か勉強したい、研究したいと思ったとき、手に取った教科書なり、本なりに書かれていることが理解できないってとっても不便ではありませんか?

勉強が人を自由にする

 最近、きちんとした日本語を使うこと、例えば相手に分かりやすく伝えたり、相手が本当に伝えようとしていることは何かを、きちんと理解できるように心がけているのですが、つくづくコミュニケーションとは難しいものだなと感じているので、国語について書きました。

ここからは、「勉強することによって人は自由になれる」ということを書いていきます。

辛いのは分かるけどそれは社会的に既知かもしれない

日々生活していると、一喜一憂しますよね。時に絶望感に襲われて「あぁもうダメだ」と自己嫌悪になってしまうこともあります。例えばあなたがその辛い経験をするのが初めてだったとしましょう。
「手術が必要な大ケガをした」「恋人に振られた」「会社をクビにされた」なんでもいいです。

でもそれって、人類史上初めての出来事でしょうか?
あなたにとって未知なことって、実は世界の多くの人がすでに経験してたりします。

例えばケガ。あなたにとって手術が必要な大ケガが初めてだったとしても、担当してくれたドクターは何度もそのケガを診てきてるし、何度も同じオペをしてきている。あなたは”One of them”でしかない。

【あなたの経験はあなたの文脈でしか語られない】という意味では、間違いなくオンリーワンです。誰にも、完全に同一の経験は出来ません。でも抽象度を上げると、実はそんなにたいしたことじゃないんですよね。もう少し分かりやすくします。

自分は特別だと思いたいのは人の性

 「辛いかもしれないけど社会的には意外と新しくない」なんて言われたら、最初は受け入れ難いですよね。ぼくも、自分が苦しんだ経験を一般化されることには抵抗をかんじます。

人は基本的に自分のことを特別だと思いたい傾向にありますよね。誰かに悩みを打ち明けて、「あぁ分かるよ!辛いよね!」って返されると、「こっちの方が辛いわ!」と思うことは少なからずあると思います。それがよく見られるのは、学生であれば部活、社会人であれば仕事になるんですかね(こっちの方が辛かったというマウントの取り合い)。

やっぱりどこかで「自分の経験や思考はちょっと違う」って思っていたいんでしょうか。でもスケールを大きくして考えると、すごい小さな出来事。
でも悲観する必要はないと思っていて、みんなそれぞれ同質の経験をしているからこそ、そこに共感めいたものが生まれ、共同体を維持できるんだと思います。

学問が明らかにしてくれている

 更に抽象度をあげます。インスタなど、SNSがこれほど人気になった理由の1つに、「自己顕示欲」や「承認欲求」、つまり自分をよく見せたい!認められたい!という人間が持つ自然な感情があります。でも投稿されてるものを見ると、ほとんど同じか、どこかしら似ている点があると思いませんか?

こうなるともはや、【人は本当に自分が欲しいと思って消費しているのか?】と思っちゃいませんか?そして実は社会学が答えを出しています。

「人は命をかけて他者の欲求を消費している存在でしかない」

これは社会学者や哲学者のあいだで言われていることです。そんなことない!って思いたい気持ちも分かります。「自分はこれが本当に欲しいと思ったし、自分の意思で買っている!」と。

でも脳科学的に見ると、「自由意志」が存在しないことも明らかにされています。「歩く」という行為すら、自分の意思ではない。最初にその行為が現れて、それに対して私たちが勝手に、【今歩いている】という意味づけをしているだけ。この事実を受け入れると、自由(気楽)になれると僕は思います。
「なんだ、みんなと違うと思ってたけど、たいしたことないな自分。自分の意思すらないなんて肩肘張る必要もないな」と、一種の諦めに至る。

有名な哲学者、ジャック・ラカンが述べた「鏡像段階」という概念を紹介して最後にします。

「生まれたとき、人は自分を中心に世界が回ると思っている。しかしあるとき鏡の中の非力な自分を見ると、全能ではないことを認める。初めから私などない。私は他者との関係性の中にこそある。」


私たちは、他人から見た自己像というファンタジー(幻想の世界)を勝手につくりあげ、投影し合っています。広告がいい例ですよね。「これを着ればオシャレでイケてる!」「これを食べればイマドキのトレンドをおさえられる!」
絶え間なく、色んな「社会的につくられた欲求」を押しつけれ、それを消費しているだけ。自慢したくてSNSにあげても、他の人と大して変わらない。むしろ何か巨大な幻想の一部でしかない。

最後に

ここまでダラダラと書いてきましたが、もうすぐ大学4年目に入るぼくが思う勉強の意義を短く紹介して終わります。

「自分は自由になれるんだ!という幻想から解放され、自分の好奇心を正しく追求するため。」

こんな小難しい表現をしている時点でまだまだなんだろうなと思いつつ、自戒を込めて。

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大学4年生。【出来なかったことが出来るようになる。知らなかったことを知る。人生でこれほどワンダフルなことはない。出来ないこと知らないことがある=ノビシロ】をモットーにブログ運営。珈琲/アート/哲学/お散歩/旅/読書/映画鑑賞 [詳細]

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