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個人の成熟度は異質なものと出会ったときに垣間見える

time 2019/03/24

個人の成熟度は異質なものと出会ったときに垣間見える

 前回の記事で、「生物学的に、未知なものと出会うと人はマウントを取る傾向にある」という趣旨のことを書きました。

そこで書き切れなかったことを補足しつつ、正解がないと言われる今の時代に大切だと思うことを書いていきます。

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個人主義の時代に大切だと思うこと

みんな違ってみんないい、それでもモラルは必要

「みんな違ってみんないい」

あまりにも有名な金子みすゞさんの言葉。僕の大好きな言葉です。
あなたはあなた、私は私のままでいい。人間の傲慢さすら受け止め、受容する暖かさ。だけどこの言葉が都合よく解釈されると、「何をやってもいい」ということになってしまう。

ジェンダーのことや、進学、就職、誰と結婚するかは個人の自由だけど、それでも守られるべきモラルがなければ社会は崩壊します。過激なYouTuberやバイトの不適切行為、最近では子供の虐待など、あってはいけないことすら相対化される。

そのモラルはこれまで思想(哲学や宗教まで含む広義の意)が担ってきました。
しかし宗教戦争は絶えず行われてきたし、アメリカの関与が要因の1つにあるとは言え、中東の内戦は終わらない。シーア派スンニ派といった、母体はイスラム教でありながらも反発し合う思想が存在する。

信仰の自由は認められ、宗教は強制されることなく選べる時代。

どうやら、世界中の人々が思想など関係なく自由に交流する今、オルタナティブなモラルが求められているように感じます。

そして僕は個人の成熟こそが大切だと考えています。

成熟=深化思考×相対化

 あまりに抽象的な話なので、まず僕なりに成熟を定義すると、
【あるテーマについて深く考え、他者と議論を重ねること】。この行為が人を成熟させうると思います。そしてこの回数が多ければ多いほど、成熟度は深まる。

もちろん反論の余地はあるし、まだ粗い考えなのは承知していますが細かいことを説明していきます。

あなたは最近いつ人を見下しましたか

 直近で、誰かを見下したことを思い出せますか?
めちゃめちゃ保守的な人、街角で見かけた風変わりな人、酔っ払って公共の場で騒ぐ人、決して豊かとは言えない生活を送っている人(ホームレスや生活保護受給者など)。

タイトルにもあるように、そういった普段接しない異質な何かと遭遇したときこそ、どの程度成熟した人間であるかが問われると思っています。幼い子供であれば、人が傷つくことを簡単に言ってしまいます。そして、それがよくないことだと怒られながら学んでいく。

 一方で、人に迷惑をかけている大人(犯罪を犯した人)や、社会的に弱い立場にある人に対しては、自分が当事者として関係していなくても寛容さを失ってしまうことがあります。例えばホームレスや生活保護受給者、薬物依存症の方など、「自己責任だ!自分で何とかしろ!」と厳しい世論が飛び交う。

しかし上で定義したように、深く考え、人と議論を重ねていると、お互いを否定しなくなります。絶対的な正しさが存在しないことに気づき、二人の考えを擦り合わせながら考えを深めていくからです。何より、文脈が変われば正しさも変わる。

 一番卑近な例は仮面ライダーなどの特撮もの。ショッカーたちは世界征服という自らの正義のために戦っていて、もしかしたら彼らが描く世界観が実現したら世界は平和になるかもしれない。更に話をジャンプさせると、戦地で相手を殺すことは本当に正義ですか?地球上で守られるべき法などのルールは、宇宙空間における非常事態でも遵守されるべきですか?

例の最後として、犯罪で結びつく万引き家族を挙げさせてください。正義なんて立場によって変わることが納得できると思います。

この動画はハイネケンが出したCMで、価値観が大きく異なる人同士でコミュニケーションが取れるかを実験したもです。面白いので見てみてください。

 正しさなんてものは、その時その時で形を変えてしまう。しかし考えることを辞めてはいけない。それを知ればこそ、すぐに判断せず、想像力を働かせ本当の意味で相手の立場になって考えることが出来るようになる。

もしもあなたが貧しい家庭やDV家庭に生まれ、悲惨な幼少期を過ごしていたら、一切悪いことをしたことがない、本当に清廉潔白な大人になっていたと思いますか?

 別に同情をしろと言っているわけではありません。でも、キリスト教徒とイスラム教徒がお互いの信じる神のために、お互いを殺し合っていたことを、外部の私たちが責めることが出来ないように、唯一の、絶対的な正しさを武器に人をジャッジすることは出来ないのではないか?と少し考えてみる価値はあると思います。

 めちゃめちゃ偉そうなことを言っている自覚はあるし、僕は自分が本当に成熟した個人であるとは一切思っていません。時に人の話をちゃんと聞けなくなったり、明らかに相手が間違っていた場合、正当性を武器にやっつけたくなったりする。その度に未熟さを痛感します。

しかし本当にあるべき姿は、仮に相手が間違っていても上から叩き潰すのではなく、それとなく悟らせ、導く態度だと、常々自分に言い聞かせています。
自戒を込めて少し踏み込んだことを書いてみました。

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大学4年生。【出来なかったことが出来るようになる。知らなかったことを知る。人生でこれほどワンダフルなことはない。出来ないこと知らないことがある=ノビシロ】をモットーにブログ運営。珈琲/アート/哲学/お散歩/旅/読書/映画鑑賞 [詳細]

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