ノビシロ.COM

内省を辞めない生き方をしたい

time 2019/03/28

内省を辞めない生き方をしたい

 ある時期から「人間が嫌い」ということを言いまくってしまって、それが「人の悪い面しか見ないヤツ」のような誤解を生んでいることもあるので、弁明的に且つ自戒も込めてこの記事を書き留めます笑

 正直に、文字通りの意味で人間が大嫌いだったことはあります。アフリカからの帰国直後がちょうどそうでした。そして「人間嫌い」はもちろん自分も含まれていて、自分が存在することさえ許せなかった時期もあります。

そこから時間はかかったものの、「うまれて生きている以上は仕方ない」という諦めもありつつ、根底の部分で、自他共に存在自体は受け入れることが出来ています。今回は「人間嫌い」の意味と、タイトルにもあるように、内省を辞めない生き方について書いていきます。

sponsored link

人間嫌いについて

とにもかくにも、まずは人間が嫌いという真意をまとめます笑

高校時代に抱いた嫌悪感

 これまでの記事で何度か、「高校時代になぜ生きるかを考えたのが今に活きている」みたいなことを書いています。当時のことをまとめた記事を参照ください。本記事ではそこで触れていない、当時人間が嫌いになった理由をシェアします。


 僕は幼少期から途上国に関心を持っていました。細かいことは省略しますが、興味を持ってからきちんと勉強を始めるまで抱いていたのは、
「恵まれていない人々のために何かをしてあげたい」という傲慢な感情でした。

 あまり繋がりがなくて恐縮ですが、なぜ生きるのかを考え始めた高校時代のあるとき、「出会ったこともないのに、途上国に暮らす人々が恵まれていないと決めつけるのはあまりに失礼ではないのか?」と気付いた瞬間がありました。
そこから、どういうわけか「人間嫌い!」という、半端じゃない振り切り方を見せて、人間が嫌いになりました。当時の自分に一言。「ロジックいずこ。」

帰国直後

 アフリカ滞在から帰国した後の人間嫌いはもう少し理由を説明できます。
この頃は、世界の不条理さが許せなくて、でも帰国後はのうのうと日本で暮らしている自分が嫌いになったときでした。そこから話は飛躍し、「地球が誕生してから約46億年、その間に地上に存在した人間(ホモサピエンス)はだいたい200億人。自分はその一部でしかないし、地上にいるのは100年ちょっと。めちゃめちゃ小さな存在でしかないのになんなんだ!」というデカすぎるスケールで考えた結果、ますます自分が嫌いになりました。

経験がある方がいるかは分かりませんが、自分を許せない・受け入れられない時期は、他人も嫌いになりがちでした。地球や人類の歴史というスケールで自分を捉え、自己矮小化しすぎた時期は、とにかく同じように他者が嫌いで仕方なく、「大したことない人生なのに、なにを偉そうに生きてやがる」みたいな過激思想を持ってました(さすがにちょっとフィクションです笑)

そこから半年ほどかかって、存在のレベルでは自分も他者も受容できる程度には成熟したので、いまは日々淡々と生きています(笑)

いま感じる人間嫌い

 最近結構色んな人に言っている人間嫌いについて書いておきます(誤解も解きたいので笑)。

 そもそも人間という生き物が矛盾を抱えた存在で、社会にはあまりに多くの矛盾が存在しているのに、汚い物にフタをするかのように平然としていることが個人的には嫌で、単一の国家・単一の法で全ての人間をカバーしきれないのと同様に、「当たり前」を押しつけあう日本社会がたぶん嫌なんだと思います。

存在自体が矛盾を抱えているというのは、生物の究極の目標は種の繁栄ですが、それを達成するには個体が生き延びる「利己的行動」が必要です。また、細胞が死ぬことで個体の生が保たれ、もっと言えば、個体が死ぬことで種が存続する場合もある。一見合理的だけど、一方で矛盾だらけな生命の設計・仕組みと言えます。もちろんこの論法は、主体をどこに置くかで変わるので必ずしも正しいとは思っていません。むしろ、矛盾をはらんだ思考体系をいくつ持てるのか、というのは思考の幅を拡げる上で役に立つので、今では自己矛盾大好きです(笑)

 話を戻すと、ダイバーシティ推進はいいけど、ポリティカルコレクトネスの要素が強く、差別はダメだという意見ばかり。個人的に、本当に多様なのは「差別思想さえ受容できる社会」だと思っているので、建前ばかり横行している現状を、まだ受け入れられていません。ポイントは、差別思想であって、ヘイトスピーチなどの差別的言動はやはり慎むべきだという立場です。同性愛が受け入れられない人はいるでしょうし、それはそれで受容する寛容さは必要ではないでしょうか。70億人以上が暮らす世界で、唯一絶対の正しさはないはずで(もしあるのなら、それを頂点に置いた世界単一国家が出来得ると思う)、均質化された社会を前提にした意見がちょっとあいません。

 あと自然を蔑ろ(ないがしろ)にしてきた20世紀的な人間が嫌いなんだと思います。「それも多様性だろ」と言われたらそれまでですが、人間社会は文字通り人間だけなのに対し、環境はそうではありません。先日アップされた、せやろがいおじさんの動物愛護法に関する叫びが話題になりましたが、人間が特別だと思い込みすぎ。

 科学の発展が明らかにしてきたのは、人間が実は大した存在ではないという事実だと思っていて、例えば人間には自由意志がなくアルゴリズムで動く生き物だということ、今まで知能が低いと思われてきたが、ある魚は自己認識していると分かったことなどがいい例かと。ちなみに僕が好きな世界観はアニミズム思想で、人間とそれ以外とを分けず、それぞれが神聖だという考え方です。

内省を辞めない生き方について

 最後に、タイトルの回収をします。
いくらアルゴリズムで動くとは言え、人間ですから欲求や感情は沸きます。それを否定することは生きることを否定することだと思うので、まずは総体(一つのまとまり)として受容することが大切だと思っています。

例えば、愚痴や悪口を言ってはいけないと分かっていながら時には言ってしまう。食べ過ぎてはいけないと分かっていながら食べ過ぎてしまう。人やものに当たってはいけないと分かっていながら、八つ当たりしてしまう。電車で嫌だなと思うこともある。そういった全ての現実を分解せず総体として受け入れること。

そしてそれらの感情がなぜ起ったのか、なぜそんな行動に出てしまったのか、自分の感情や欲求、行動一つずつと丁寧に向き合い、言語化すること。それを僕は内省と呼んでいて、日々振り返ることを習慣化し始めました。

それを始めてからは、感情の起伏がほとんどなくなり、ついつい食べたくなっても抑えられるようになったり、嫌みっぽいことを言われたとき、相手がムッとするようなことを言い返したくなっても我慢できるようになったし、ちょっと気分が落ち込んでも立ち直れるしいいことだらけ。

MEMO
内省=人間関係の中で生じる感情や、日々沸いては消える欲求に向き合い、きちんと言語化し処理すること

あらゆる人間を好きになることはないけれど、これを辞めない生き方をしたいと思う。

sponsored link

down

コメントする




このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

 ノビシロ.COMについて

大学4年生。【出来なかったことが出来るようになる。知らなかったことを知る。人生でこれほどワンダフルなことはない。出来ないこと知らないことがある=ノビシロ】をモットーにブログ運営。珈琲/アート/哲学/お散歩/旅/読書/映画鑑賞 [詳細]

CATEGORY